聖域より愛をこめて 5


 カノンの好きにさせたくはない。けれど同時に、そうさせてやりたいとも願う、この相反する感情のみなもとを、いったい何と呼ぶのだろうか?
 向けられる想いに応えるすべは、本当にこれしかないのか。そんなはずはない。もっと他にあるはずだ。探せ。そうしないと本当に、取り返しのつかないことになる。
 そう思うのに、今、ミロは、カノンの背に触れた指一本さえ、動かすことができなかった。

 言葉でいうほど性急に、ことは進められなかった。
 触れるだけのくちづけを何度も繰り返し、髪やうなじを撫でつけながら、カノンは、シャツの上から、ミロの肩や腕、背すじや脇腹へ、いっそたどたどしいとも呼べる動きで手指を這わせてきた。まるではじめて触れる未知のものを、恐る恐る確かめようとするみたいに。
 そうまでして慎重に肌をたどるカノンの動作は、かえってミロの不安と羞恥心を煽ることとなった。部屋の明かりが灯されたままなのも気になった。けれど女のように、明るいのは嫌だなどと、まさかカノンに言えるはずもない。
 触れられたところから徐々に浸透する熱がもどかしくて、ミロはカノンのシャツを強く握りしめた。カノンの手のひらも指先も、広い背中も、合わさった胸板も、そのすべてが信じがたいほどに熱い。酸素は十分に与えられているはずなのに、息苦しさで、ミロは思わず喉を震わせた。
「……っ」
 角度を変えて、今度は今までで一番深いくちづけになった。他人のぶ厚い舌に犯される感触は、やはりどうにも慣れなくて、ミロの背すじには自然と緊張の糸が張りつめる。けれど、いらえがなくとも熱心に舌を追い求める、巧みで繊細なカノンの動きは、やがて甘い痺れとなって、深い昂揚をミロへもたらした。
 息継ぎの合間に、産毛を撫でてゆくカノンの吐息が熱い。鼓動が早い。
 カノンも同じように感じ入っているのだろうか?
 くちづけのたび耳殻へ触れるカノンの指も、くすぐったさとは別の何かをミロへ訴えかけていた。髪がよけられて露わになったそこを弄られるたび、全身を裸に剥かれて鑑賞されているような心地に陥る。だが羞恥を感じても嫌悪には至らない、この不思議な感覚は何か。
 はじめなだめるようにも感じられたカノンの手つきは、くちづけの深さに比例して、だんだんと、ねぶるような動きになった。首を振ってみても、思ったような抵抗にならなくて、ミロは愕然とした。

 いつの間にか、左胸へ添えられていたカノンの手のひらが、円を描くような動きで、薄いシャツの生地の上から、ミロの肌をまさぐった。ぞくぞくと、追い立てるような何かが腰の付け根あたりから生まれて、一気に背すじを駆け上がる。
「っ……く、」
 片手で器用にシャツの留め具を外されて、くちびるを奪われながらも、ミロは一瞬息を呑んだ。露わにされた胸部は、自分でも驚くほどせわしなく上下していて、空気を求めてあえいでいる。外気の冷たさのおかげで、ミロはいかに自身の身体が熱を帯びているかを知った。
 口の端から透明な糸を引いて、銀色の唾液がだらしなく零れた。拭う余裕などなかった。抗う気力もなく、求められるまま舌を差しせば、カノンは飽きもせずミロの口腔を貪った。
「っん、……、ン、ん」
 ずっとカノンのくちづけに応じているせいで、顎も舌も痺れて気だるかった。いい加減休ませろと訴えようとしたそのタイミングで、カノンが胸へ顔を埋めてきたので、ミロは驚いて自分の舌を噛むところだった。
 カノンの舌先に触れられると、胸の突起はすぐに顕著な反応を示してみせた。ここにきても、やはりカノンは慎重で、その硬さや感触を、いちいちうかがうように舌で探っている。
 粟立つ肌がふたたび滑らかにととのうまで、その変化を存分に味わうように、カノンの舌が何度も同じ場所をたどる。いっそ慇懃無礼とでも呼ぶべきほどこしに、このまま羞恥心で煽り殺されるのではないかと、ミロは思った。
 女みたいに扱われる、こんなのは絶対に許せる行為ではない。なのになぜ、今自分はそれをカノンに許しているのだろう。
「……、あ……っ!!」
 やんわりと歯をたてられ、ミロの背が大きくしなった。生き物のような動きを披露する舌先に弄ばれ、やたらと執拗に這い回る手のひらや指の腹に嬲られて、胸の尖りはすでに赤く、痛いほど腫れ上がってしまっていた。なぜこんなところが感じるのかわからなくて、悔しさにくちびるを噛む。
 探るようでいて、はじめからすべてわかっているような動きを繰り返すカノンの指先も、癪に障った。

 いつの間にか、シャツの前開きが全開にされ、革のベルトが引き抜かれた時には、緊張で、ミロの額にはびっしりと玉の汗が浮かんでいた。
 無理からぬことだ。女を抱いたことはあっても、男にこんなことをされた覚えはない。
 ここまで来て、無粋なことを言うつもりはない。同性同士の行為が行き着く先がどのようなものか、想像できぬほど愚鈍でもない。
 けれどそんな思いとはうらはらに、ミロのくちびるはかたく引き結ばれ、膝の震えはいっかなやまなかった。小刻みな振動は、カノンにもつたわっているに違いないが、見下ろしてくる碧眼は、何も告げはしなかった。

 ミロの額に張りついた前髪を、ひと筋ひと筋丁寧に払いながら、カノンはもう何度目になるかわからないくちづけを落としてきた。その優しさに驚いて、ミロは瞳を瞬かせる。それもつかの間、やわらかで熱い舌先に、くちびるを開くよう促されれば、もう、抗う気にはなれなかった。
 奪うようなそれではなく、じんわりと染み入って、いたわるようなくちづけだった。舌先だけを絡め合い、もどかしくあえぐと、水音とともに唾液が口の端をつたって落ちた。決して濃厚なくちづけではない。それなのに、ミロの頭は霞がかったようにぼんやりとして、いつの間にか膝の震えが止まっていることに、ミロは後になってから気がついた。

 寝台の上へ仰向けに倒され、カノンの影で視界が覆われた時も、だからミロはとっさに反応ができなかった。
 カノンは非常に手際が良かった。くちづけの余韻に浸るうち、シャツはもとより、ジーンズも下着でさえも、あっという間に取り去ってしまっていて、どんな必殺技を使ったのかと、ミロは本気で頭を巡らせたほどだ。つまり悔しいことに、それほどカノンは手慣れていた。
「!」
 反射的に起き上がろうとするが、さらりとした感触が胸に降りてきて、覆いかぶさってきた身体に動きを封じられる。ふたたび、胸の尖りにやわらかなくちびるが押し当てられた。
 カノンの髪がくすぐったくて、同時に強く吸われると、痺れるような、切ないような感覚が全身を駆け巡った。何とか声は抑えたが、刺激にいちいちびくつく腰は、のしかかるカノンの重さの前にあって、どうやっても隠しようがない。
 やわらかな乳房があるわけでもないのに、何が楽しいのか、カノンは執拗にそこばかりを責め立てる。空いた方の手のひらは、ミロの肋骨や脇腹をなぞるように肌の上を滑った。ときおり鎖骨や、肩胛骨のくぼみの辺りに添えられる指先にさえ、ミロの身体は顕著な反応を示した。何度でも。
 絶え間なく与えられる刺激で呼吸が浅くなり、たびたび腰を浮かせそうになる。肌を濡らす、湿った音がやたらと室内へ響くのも、ミロの熱暴走を加速させた。
 耐えがたく、ミロはとうとうカノンの髪先を引いた。この感覚には覚えがある。あれは確か――そうだ。任務で訪れた、エーゲ海の孤島だ。
 何でもいいから縋りたくて手を伸ばした。あの時初めて、カノンの熱に触れ、知った。
 けれど、あの時と確かに違うのは、もう、この熱を恐ろしいと思わなくなっていることだ。あれからさして時が経過したようにも思えないのに、この変化は何がもたらしたものなのか。
 ミロは今、それが知りたい。

 そのカノンの手のひらが、下腹へと伸びた。ぴたりと添えられた大きな手は、腹筋のまわりをゆるゆると撫でさすり、兆しはじめていたミロ自身へ触れた。これまでにない緊張が走り、ミロは思わず立てていた両膝を閉ざそうとする。
 だがカノンがそれを許すはずもなかった。胸元からやっとくちびるを離したかと思うと、カノンは、ミロの閉ざされかけた膝を割って押し開いた。同時に左太腿を抱え上げられ、折り曲げられた右膝に、くちびるを強く押しつけられる。初めて味わう感覚に、ため息にも似たあえぎが零れ落ちた。
「は……、ぁっ……」
 膝頭から脛にかけ、カノンは丁寧に舌を這わせた。冷たく見えて熱いくちびるは、やがてミロの足の甲をたどり、足の指先へ触れようと滑る。驚いて、思わず蹴り上げようとするが、左の大腿を固定されているのでうまくいかず、右足は宙を空振りするだけにとどまった。
 その右の膝裏に差し入れられた、熱い手のひらの感触に、ミロはぶるりとおののいた。ふくらはぎを撫でさする手は、太腿の裏をつたって、臀部までを幾度も往復した。感じたことのない、ぞわりとした刺激が脳天までを貫き、中心へマグマみたいな熱が集まるのを感じる。
「うぁ、あっ」
 いきなり感じやすい先端に触れられて、ミロは吃驚した。爪先で、孔のまわりを引っ掻くように弄られたかと思えば、今度は親指の腹で小刻みにこすられる。先走りの蜜を滴らせるそこは、くちづけと脚へのほどこしだけで驚くほど張りつめていて、担ぎ上げられた脚がびくびくと痙攣するたび、カノンの屈強な肩も揺れた。
「や、め……っ! この、バカ……っ」
 罵倒するつもりが、自分でも驚くほど掠れて、甘ったるい声音になった。こうなると抗議の声も無に等しい。カノンは応じず、ミロの膝頭や太腿をなおも唾液で濡らしながら、中心への愛撫を繰り返した。
 硬度を確かめるように、カノンの指先はゆるゆるとミロの根本から先端までをたどり、ときおり緩急をつけては、軽くしごかれる。
 急所への絶え間ない刺激と、膝からつたわるカノンのくちびるのやわらかさ、その熱、冷たくなって降りてくる唾液の通り道、触れあうすべてが深い官能の渦となって、ミロを呑み込もうとしていた。

 くちくちと、ぬめる水音が部屋に響く。先ほどからカノンがずっと無言なのが、ミロにはどこか空恐ろしかった。何でもいい、何か言えといいたいのに、口を開けば嗚咽にしかならなくて、ミロはくちびるを強く噛みしめる。
 諦めて両手を交差させ、みずからの顔を覆った。今自分はどんなにか情けない顔をしているだろう。翻弄されるまま一方的にいかされるのは絶対にご免だし、見られたくなかった。けれど。
「……ミロ」
 聞きたいと願った低い声音は、ひどくしわがれて、熱っぽかった。どくん、と心臓が音をたてて跳ねる。
 無造作に手首をつかまれ、横へ払われてぎょっとした。解放された太腿を下ろすことも忘れ、ミロは眼前に迫り来るカノンの顔を見た。しかし近すぎて焦点が合わず、表情がわからない。
 カノンは黙ってミロの額へくちびるを寄せてきた。わけがわからなくて、もう一度両手で顔を隠そうとしたら、中心に添えられた手指の動きが急に勢いづいたものになったので、ミロは今度こそあられもない声を上げ、仰け反った。
「や……、もう――っあ、ああ……!」
 急激に追い立てるその動きは、これまでと比にならないほど切迫していた。先端が泡立つほど、執拗に何度もこすられ、しごかれて、痛いほどに硬度を増してゆく屹立は、もう限界が近い。
 激しく首を振ってあえぐ吐息の間に、見るなと懇願する。だが聞き入れられるはずもなく、ミロはかたく目を閉じた。
「っあぁ……!!」
 全身が、矢で貫かれた獲物のようにしなり、硬直した。真白い衝撃が脳裏を占める。下腹を濡らすあたたかな感覚で、いかされたのだと理解した。
「はっ――あ、ぁ……っ」
 ぶるぶると胸が震え、呼吸を整えようと必死で空気を求めると、ひどい耳鳴りがした。カノンの手は、ミロの余韻を感じ取ろうとでもするみたいに、精を放ったばかりのそこを何度も撫でさすった。もうよせと言いたいのにできなかったのは、見下ろしてくるカノンの碧眼が、この上なく愛おしいものを見るような輝きであふれていたからだ。
 だから――そんな眼で――、もう、見るなと。

 言葉を失って息を呑むミロを眺めやり、カノンはそこで初めて、自身がまだ衣服を取り払っていなかったことに気がついたようだった。みずからの胸に手をあてると、留め具を引き千切らんばかりの性急さで、シャツを乱暴に脱ぎ捨ててゆく。
 そうして、やがて視界が肌色ばかりに染まった時、ミロはあらためて、カノンのその彫刻のような身体と、整いすぎた顔立ちに見入ってしまった。
 いつも冷静な面差しに不釣り合いなほど紅潮したカノンの頬と、荒い息遣い。熱に浮かされて潤んだように輝くまなざし。
 おまえにそんな顔をさせているのは、オレか。
 言いようもない震えが背すじに走ったかと思うと、めまいにも似た感覚に襲われ、どうしようもなくくらくらした。
 そして次の瞬間、総身が、驚きのあまり硬直する。
 カノンの昂ぶりを感じて、恐れを抱いたのではない。
 信じられないことに、おのれの腰へ、じんじんと、むず痒いような疼きが走ったのを自覚したからだ。
「退け……!」
「嫌だ」
 そのことを悟られぬよう鋭く言い放つと、間髪入れず断られた。まるで子どものようなそのいらえに、一瞬だけ毒気を抜かれる。それも一時で、いきなり鷲づかみにされた尻の肉をやわやわと揉まれ、ミロは引き攣れたような悲鳴をあげた。硬さをほぐすように、大胆な動きで揉みしだかれる。
 何を、と言いかけて、ぎくりとした。乾いた後ろの窄まりに、カノンの指先があてがわれるのを感じて、息が止まりそうになる。
 やはりそこを使うのかと、妙に冷静に考える一方で、覚悟はしていたはずなのに、とても無理だと今さら逃げ腰になる自分がいる。だが、もう――遅い。
「う、あっ、あぁッ……!」
 後孔の縁を、指先が円を描くように蠢きはじめるのと同時、中心へ走った新たな刺激に、ミロの腰が大きく跳ねた。根本から先端までを、一気に舐めあげられる感触。弛緩しきっていた腕を伸ばし、カノンを髪を引いて退けようとするが、深くくわえ込まれて、絶叫にも似た声をあげてしまう。
「カ、――」
 言葉にならない。くびれの部分で動きを止められ、裏筋を舌先で触れられたあとは、先端を押し込まれるように愛撫される。ゆっくりと上下するカノンの頭にたまらなくなり眼を背けるが、あたたかな口内に含まれる感覚は、吐精したばかりで硬さを失いかけていたミロの半身に、ふたたびの兆しを取り戻させた。
「や、あ、嫌だ……あッ、は、っ……」
 甘ったるい自分の声も、すすり上げられる水音も、聞いていたくないのに、身体はもっとと歓喜の声をあげている。指先はもちろん、やわらかなくちびるや熱い舌、吹きかけられる吐息まで、カノンが、できうる限りのすべてを使って、ミロを感じ入らせようとしているのがわかる。もうダメだ。わかったからやめろと言いたい。
 ミロは全身をわななかせた。そんな風に触れて欲しくない、いや、触れて欲しい。そのどちらも確かに真実なのに、自分が真に望んでいるのは果たしてどちらなのか。ミロにも、もうわからなくなっている。
 一方で、押し拡げようと侵入してくる異物感は、おかげで何とか薄れていた。カノンの狙いはそこなのだろう。だがそれにしたってひどい。繰り返される巧みな舌遣いのおかげで、今自分が何をされかけていたのかさえ、わからなくなってしまっている。
 せまい後孔は、やはり乾いたままでは、指の一本を受け入れることさえも困難だった。唾液や、ミロが放ったぬめりで濡れる指先をもってしても、しばらくするとすぐに滑りが悪くなるようだ。けれど、カノンにあわてる様子も、焦る気配もないのが、ミロは何となく不安だった。
「!!」
 みずからの股間に顔を埋めるカノンの頭を直視できず、ずっと、低い天井を睨みつけていたのが災いした。唐突に、ぎょっとするほど冷たくて、とろりとした何かが後孔へ塗りたくられる。いつの間に、何をしたのかと問い詰めたかったが、深いあえぎに取って代わられ、できなかった。
 縁をまさぐる感触とともに、カノンの指は驚くほどスムーズにミロのなかへ侵入してきた。鋭くて重たい、感じたことのない奇妙な刺激が走り、内壁を満たす圧迫感に耐える。指一本でこんなにきついなら、実際の行為はどんなにか辛いだろう。想像すると、ミロの背には冷や汗が流れた。だが恐らく、カノンの方だってただではすまないのだ。
 こうまでして肌を合わせることに、何の意味があるのだろうか。けれどそれを恐ろしいとは思っても、不思議と嫌だとは感じない。頭のねじがどこか吹っ飛んで、そろそろおかしくなってしまったのかも知れないと、ミロは思う。
 面積を拡げながら、ゆっくりと押し入ってくる長い指先は、ときおり探るようになかで蠢いて、そのたびミロは、全身を激しくびくつかせた。
 同時に屹立を強く吸われた時は、これで楽になれるかと思ったのに、カノンはぎりぎりのところまでミロを追い込んだきり、いっこうに解放しようとはしなかった。いきたいのに、いかせてもらえぬもどかしさで、ミロの総身は切なく震えた。これではさっきと真逆だ。カノンはどれだけ、自分を翻弄すれば気がすむのか。
 だから、指の本数が足された時は、羞恥や焦燥よりも、もっとなかでぐちゃぐちゃに掻き回して欲しいと願う欲求が、何よりもミロを突き動かした。
「カノン……っ」
 情けない声音だった。たまらず呼びかけたまではいいものの、しかしもはや自分でも何を言おうとしているのかわからない。ただ、名を呼べば、当たり前のようにカノンが顔を上げた。たったそれだけのことで、ミロはひどく安堵した。無視を決め込まれるかも知れないと思ったのだ。
 どうすれば、カノンにつたわるのか。いかせて欲しい、けれどさっきみたいに、一方的なのは嫌だ。
 途方に暮れそうになった時、カノンの言葉が脳裏によみがえった。

――キスの時は、目を閉じればいい。
――抱きしめられたら、抱き返すだけでいいんだ。

 今、ミロは初めて、みずからカノンへ触れてみたいと思う。
 腕を伸ばす。届かないと思ったのに、カノンは自分から顔を寄せてきた。触れた頬が熱い。精悍で彫りの深い、これまで眼にした中で、恐らくもっとも美しいであろうその顔立ちが、ミロを見つめ返して、僅かにほころんだ。伸びてきたカノンの指の背に、同じように頬を撫でられる。

 言葉以外で感情をつたえるすべが、こんなにもあるなんて、知らなかった。
 カノンの碧いまなざし。
 触れる手のひら。
 つたう指先。
 熱いくちびる。
 そのどれもが――たとえようもない、深い愛おしさで満ちあふれている。

 教えてやると言った、カノンの言葉に嘘はなかった。
 けれど、それが答えかと今問うたところで、カノンは恐らく首を傾げるだろう。意図してそんなことができる男ならば、はじめからそうしていたに違いない。そんな気がする。

 カノン。

 もう一度、その名を呼ぶ。少しだけ脚を開いて、覆いかぶさってくる重みを受けとめ、その背を掻き抱いた。
 初めて触れる、滑らかで逞しいカノンの背中は、驚くほど汗ばんでいて、思わず指先を滑らせそうになる。
 カノンも同じように緊張していたのだと思うと、ミロの気分も幾らかやわらいだ。いつだって冷静で、懐の知れない男だと思っていたのに。もしや先ほどから言葉少ななのも、そのせいなのだろうか。
 あらためて両脚を割り開かれ、カノンの昂ぶりが押しつけられた。何かの液体で濡れたの手のひらが、内太腿を何度も撫でる。口淫ですっかり赤く腫れ上がったミロの芯が、間に挟まれて切なげに震えた。
 硬い先端に縁をこすられるだけで、あえぎが漏れた。指先では、あんなに大胆に尻や後孔をまさぐってきたくせに、肝心のカノン自身は、何度もためらうようにそこへ触れては、引いてを繰り返した。寄せてはかえすさざ波のように。
 まだ慎重にするのかと訊ねようとして、ミロは言葉を飲みこんだ。どうもそうではないようだった。カノンは少し考えるようにしてから、そっとミロを抱き寄せた。これはミロの想像だが、カノンは、挿入をためらうというよりも、体位について考えを巡らせていたのかも知れない。
 重ねあわせた下肢の熱さにミロは震えた。熱い昂ぶりが、ほぐされたそこへ突くように押しあてられ、入りたいと懇願してくる。
「あ、……ま、待て」
 息を殺し、覚悟を決めて待ち構えていたはずなのに、カノンが妙な間を取ったせいで、ミロにはふたたび怖じ気が戻ってきてしまっていた。だが、そう言われてカノンが待つような男ではないことくらい、ミロにだってわかっている。
 ぴたりと添えられた先端が、快楽を得ることのできる進入路を正確に捉えた。指先などよりもはるかに内壁を圧迫する、灼熱の楔が押し入ってくる衝撃に、大げさでなく、ミロは一瞬意識が飛びそうになった。
 カノンの首裏に手を伸ばし、恥も外聞もなく取りすがった。ミロの最果てを手繰ろうとして、カノンの腰がゆっくりと静かに押しすすめられた。欲望を映して煌めくカノンの瞳から、目が離せない。自分は今、カノンの瞳に、どのように映っているのだろう。同じように振る舞わなくていいと、カノンは言ったけれど、その想いに応えられるようなまなざしが、最初から自分にも備わっていたなら、あんなにも思い悩むことはなかったのか。

 最奥まで到達したことを確認すると、カノンは静かに息を吐いた。深く繋がっているから、それさえもが直接的な刺激となり、ミロの下腹や腰をじわじわと責め立てる。
「カノン……っ」
 名を呼ぶのと同時に、律動が開始された。腰を浮かし、できるだけその衝撃を和らげようと身を捩れば、カノンからほんの僅か苛立ちを感じて、ミロは首を傾げた。
「……、動くな」
 その、掠れた声がたまらない。まだはじまったばかりなのに、カノンの額には、濡れて輝くほど汗ばんでいて、息遣いもまるで追い詰められた獣のように荒い。
 こんなカノンを見るのは初めてで――今夜は初めてが多すぎる――ミロの胸は不思議な高揚感で満たされた。

 狭い内壁を、容赦なく穿つ屹立は、これでもかというほどの力強さで、繰り返しミロの身体を突き上げ、揺さぶった。夢中になっているのかと思いきやそうでなく、的確に一点ばかりを狙って突いてくる、その卓越した腰使いに、ミロは文字通り腰が砕けそうになっていた。
 こんなのはない。する前は、もっと、痛みや羞恥が先行して、後悔ばかりが襲ってくるものとばかり思っていた。辛いとわかれば二度目もない。そんな打算的な気持ちもあった。なのにこれでは――もう、カノンを罵ることなど、できやしない。
「あ、あぁッ! は、ア……っ、あ、ああ……」
 声を抑えることはしなかった。できなかったというのが正しいが、認めるのも悔しい。
 後ろの刺激だけではいけないと思ったのだろう、カノンは、二人の腹の間でこすれるミロ自身を、ゆるゆるとしごき上げてきた。大胆な腰のストロークとはまるで正反対の、その動き。おまえは器用すぎる――いや、そんなことは死んでも言ってやらない。穿たれながらも意外と余裕を見せるみずからの思考に感心していたら、ミロは、絶え間なく耳を打つ濡れた音のせいで、すぐさま行為に集中させられた。
「う……うっ……、ぁあっ……!」
 もはや嗚咽にしかならない声をあげる。カノンのくちびるがそっと近づいて、右の目尻に触れた。涙をすくわれたのだ。カノンへ応じるだけで精一杯で、自分が泣いていたことにさえ気づかなかった。
 ああは言われたものの、突き上げられる衝動に合わせ、やがてミロの腰は自然と蠢いて、カノンの下肢へ股間をこすりつけるみたいな動きを繰り返した。両脚がむずむずと宙を掻き、カノンの腰へ絡めるようにまとわりつくと、信じがたいことに、なかでカノンの硬度が増したような気がした。気のせいだと思いたいが、だからといって、この激しい交わりの何が変わるわけでもなかった。
 両脚を抱え上げられると、結合がいっそう深くなった。肩にかけられて、低い天井を見上げると、肉のぶつかり合うひどい音が、室内へ響き渡っていることに気づく。
 この場所でよかった。ここならば、何も気にかけることなく、カノンにだけ集中していられる。
「カノン……っもう……」
 戦うような激しさで打ち付けられ、ミロはとうとう根を上げた。カノンの勝ちでいい。これだけいいように、好きにされても、カノンのことを腹立たしいとは思わなかった。この感情のみなもとが、カノンの言う愛と同じものなのかはわからない。けれど、もう苛立ちはしない。焦りも恐怖も感じなかった。これを、カノンがミロへもたらした変化だというのなら、それも悪くはない。だから――。
「もう……、っん……」
 くちびるを奪われて、その先は言葉にならなかった。一気に加速する律動に追い詰められ、同じくらいリズミカルな動きに変化する指先で、一気に高みへと連れて行かれる。
 頭の中が真っ白になって、解き放つのとほぼ同時に、後ろに感じた飛沫感と、カノンの低いうめき声が聞こえたので、ミロはほっとして、この夜一番深くて長いため息をついた。







 いつの間にか、気を失ってしまっていたらしい。
 少し身体を動かしただけで、ひどい軋みをあげる寝台は、まるで今の自分の身体を具現化しているようだと、ミロは思う。
 それにしても、予想はしていたこととはいえ、腰がだるい。尻が痛い。喉がひりひりして熱い。
 シーツに伏したまま、ミロは瞳だけをきょろきょろと動かした。カノンが動き出す前に、身体の残滓をせめて洗い流したい。そう思ったのだが――。
「起きたのか」
 腰にやんわりとまわされていたカノンの腕が、その力を取り戻し、やや強引に後ろからミロの身体を抱き寄せた。狭い寝台の上なので、もとより離れて寝るスペースもなかったから、終わった後は仕方なく密着して、横になっていたのだ。
「……今何時だ」
 あのように肌を重ねあわせた以上、はなせとすげなく扱うのも何か違う気がして、カノンの手を振り解くことはせず、ミロは憮然とつぶやいた。
「さあな。明け方近いんじゃないのか」
 カノンの手が、背に流れる金髪を分け入って、うなじが露わにされるのを感じる。何かと思ったら、いきなり首の後ろへ音をたててくちづけられ、抗議の声をあげた。
「……っ、それはよせ」
「どれならいいんだ?」
 無邪気に訊ねられ返答に詰まる。後ろから抱きしめられているので、カノンの顔は見えないが、これは、謀られているのかそれとも天然か。否、カノンに限って後者である確率はかなり低いだろう。だが、案外余裕がないところもあるのだ。この男でも。
 それを知ったばかりだから、ますますカノンの意図を図りかねて、ミロはむむ、と声をくぐもらせるしかなかった。
「……夢かと思った」
 不意を突いてささやかれた、切なくて苦しげなカノンの声音に、ミロの心臓は痛みをともなう何かで貫かれた。そうだ、カノンは――ずっと、ミロへ想いを寄せていたのだと、サガも言っていた。
「夢であってたまるか」
 別に自分が悪いことをしたわけではない。だがこれまでの色々を考えると、何となく後ろめたいような、いたたまれないような気持ちになり、ミロは即座に否定してやった。
「このオレが、あんな目に遭わされてやったというのに――よもや夢だなどとは、絶対に許さん」
 我ながらすごいことを言っているという自覚はあるが、ミロはとにかく、カノンの弱気を打ち消してやりたかった。揶揄みたいなセリフが飛んでくるかと思いきや、カノンは何も言わなかった。ただ黙って、ミロの髪を静かに梳いている。
 しばらくの間、二人とも無言だった。ミロは息をつき、腰にまわされたカノンの手を振り払った。ぎしぎしと悲鳴をあげる身体を叱咤して、なんとか上体を起こし、寝台から床へ足を下ろす。
「どこへ?」
「浴室を借りたい」
 床に散らばった衣服を拾い上げ、しわくちゃになったシャツだけを肩から羽織る。足下がおぼつかず、鈍痛が腰から全身へ駆け巡るようだった。かたい寝台の上でしたせいか、背中も強張ったように痛む。
 カノンが寝台から降りる気配を感じて、ミロは振り返った。同じように自前のシャツに袖を通すと、カノンはミロの手を取った。
「こっちだ」
 部屋の入口から一番離れた扉の向こうに、浴室はあるらしい。自分に比べ、しっかりとした足取りで歩むカノンが憎らしくて、ミロはふたたびその手を払った。
「先に使わせてもらうぞ」
 宣言すると、カノンが驚いた顔になる。
「一緒に入るんじゃないのか」
「なぜそうなる」
 誰がそんなことを言ったとにらみつけてやれば、カノンは案外真面目な顔で、こう言った。
「責任持って洗ってやる」
「いらん!」
 何やら考えているようだったので、一人にしてやった方がいいかという気遣いもあったのに、これでは本末転倒ではないか。というか、夢だと思ったとか、弱気なことをいっていたくせに、もしやあれは気を引くための方便だったのか。
「ミロ」
 急に真剣な声で名を呼ばれ、ミロは身構えた。カノンがこれから何を言おうとしているのか、ミロには想像もつかない。けれどもう、何を言われようともひるんでなどやるものかという対抗心が、ミロの胸にむくむくと生まれていた。
「好きだ」
「……ああ」
 相変わらずうまい返事が見つからない。けれどカノンが嬉しそうに顔をほころばせたので、きっとこの答えで、間違いではないのだろうとミロは思う。
 振り払った手を、もう一度、今度は強い力で捕らわれた。五指を絡め、つなぎ合わせるように握られたかと思うと、カノンは、ミロの手のひらにそっとくちびるを寄せてきた。
「愛している」
 あの日以来の、愛の告白だった。あの時と変わらない、一言一句同じ言葉なのに、ミロの胸は締めつけられるように熱くなった。この胸を突く、閃光にも似た鋭い痛みを、何と表現すればいいのだろう。
「……もう、知ってる」
 呆れるふりをして、ミロは浴室へ向かって歩き出した。手をつないだまま、カノンが半歩遅れてついてくる。

 いつかまた、カノンに教えられる日が来るのかも知れない。

 そんな予感を胸に抱きながら、カノンにわからぬよう、ミロはこっそりと息を吐き出した。